思い出

僕の始まりのうた

傷つき 挫折し 負け犬のような時に 君に出会った

二人は疲れ 夢を諦め 人を信じることさえ出来ない自分達

傷を見せ合うことが出来る唯一の相手 人に疲れきっていた二人

支え合い 信じ合い 守りたいと願った存在

そんな君でさえ 捨てたくなったあの日々

自分自身 一生懸命になればなるほど 

独りになりたい欲望にかられる

いつしかそれを楽しんでいるもう一人の自分

だけど本当の心の叫びが聞こえる

いつもいつまでも始まりのままの ピュアな自分がそこに居る

そんな小さな声に耳を傾け 感じる時

本当の自分を思い出す

今まで蓋をしていた自分自身 小さく 忘れ去ろうとしていたあの頃へ

今再び輝きだす

帯広神社の神様

お盆に、Reiちゃんと私の“産土神様”である、

帯広神社へ、久々に行って来ましたhappy01

この帯広神社は、私にとって、とても懐かしい場所です。

小学生の頃、秋祭りに、巫女舞を踊った事があるからですr(^ω^*)))

毎日、練習で神社に通ったのを、懐かしく思い出します。

どんなふうに迎えてくれるか?ワクワクしますnotes

出て来られた方(?)は、“千と千尋の神隠し”に出てくる、

最初、ドロドロの状態で、お風呂に入りに来た神様が、

スッキリした状態になった、あのおじいちゃんの神様に、

そっくりでしたshine

ただ、だた、ニコニコしてくださいましたhappy01

やっぱり、神社って、大好きだな~heart04

by kimi

恐れ2

正に、負のメビウスの輪の中にいるようです。

あの映画(もののけ姫)では、肉体を腐らせ、

やがて死にいたらすものでしたが、

僕が感じるには、精神を蝕んでいくような、

目には見えない、そうして限りなく増殖する、

ウィルスのようなものに感じます。

恐れを手放し、あるがままを受け入れ、

ジャッジすることなく、まるであの映画の主人公

アシタカヒコのように、曇りなき眼で、

真実を見極める、今の僕は、そんなアシタカヒコの様に

ありたいと思っています。

しかし、経験しなければ深い部分て、

見えなかったり、感じなかったりする事は、

沢山あるでしょう。

なので、経験して来たもの全てに感謝です。

だって、一歩でも進めた、今の僕があるのですから。

愚かなる、過去の自分も、愛おしい。学びの俳句

by Rei

恐れ

昨日久々にテレビでやっていた、“もののけ姫”を見ました。

そこには、祟り神になってしまった“いのしし”がいました。

その姿は、黒くドロドロとした気をまとい、

周りに居る全てのものに、影響を与えて行く恐れの塊です。

それを見た時、昔の自分を思い出しました。

その当時、kimiのチャネリングによると、

僕自身も、黒いタールの様なものが、全身を覆い、

油にまみれた水鳥の様だったようです。

スピリチュアルな事を始めて、色々な事を感じるようになったお陰で、

その頃の僕を見る事が出来ます。

正に、その猪と同じ様に、自分自身を守ろうとする恐れが、

怒りを呼び、悲しみをあおり、・・・etc

不のエネルギーを、撒き散らしながら、周りへと連鎖させて行くのです。

そうして、いずれまた自分に、不のエネルギーが返って来て、

更に増大していきます。

続く。

by Rei

一人の時間

僕は昔、自分一人の時間が無いと、

どうにもダメでした。

そこには、今考えると、たくさんの自分の中にいる

霊ちゃん達との対話だったのかもしれません。

まず、今日一日を振り返り、「ああすればよかった」

「こうすればよかった」と反省し、

そして、次は次の日の事をシュミレーションします。

「こういう場合はどうだろう?」

「ああいう場合はどうしよう?」

色々パターンを作り、空想します。

しかし、その空想の中にも、エゴちゃん達ではなく、

霊ちゃん達の影響が大きかったんだと今思います。

パターン一つに、霊ちゃん一体、

だったのだと感じます。

僕の場合、数十パターンあったので、

かなりの方が、その当時おられたんだと感じます。

今思い起こせば、一人になる時間が必要!というのは、

自分の中の霊ちゃん達との対話の時間だったんだな~と思うのです。

好きな事をやっているつもりでも、

一人がいいと思う状況は、何かしら、

霊ちゃんの影響を受けていたんだな~と感じます。

本当は、一人じゃなくて、沢山と。学びの俳句

by Rei

人は、多かれ少なかれ、心に傷を持っていると思います。

小さい時の傷

思春期の頃の傷

働いてからの傷

結婚してからの傷

そして、人はいつしか、心に蓋をしてしまいます。

まるで、かさぶたの様です。

その傷自体は、もう、かさぶたが出来る事により、

普段生活するのには、痛くも無く、

自分には、支障がありません。

しかし、その状況は、傷が治っているというものではありません。

ですから、そのかさぶたを取ると、

生々しい傷のままです。

僕も以前、蓋をしていた感情がありました。

人に愛されない・・・。

僕自身は、愛しているのですが、受け入れてもらえない状況。

それは、祖母に始まり、・・・・etc。

その分、兄弟姉妹達は違いました。

そこで、愛を貰っていたのだと思うのですが、

それ以外の場所では、いつも傷が出来ていました。

スピリチュアルを始める時まで、

長くかさぶた状態のままだったので、

その傷の記憶も忘れていたのですが、

蓋を開けてみて、ビックリでした。

その時の感情、思い、辛さ、色々なものが、

そのままで、保存されているのです。

恐らく、スピリチュアルな事に歩み出そうとしなければ、

一生その蓋を開ける事は、無かったでしょう。

そして、自分に起きた事を、

見つめることも、感じることも無く、

相手を許す事も無く、

自分自身も許される事も無く、

来世でまた、同じ学びを繰り返すのだろうと思います。

なにせ、まだ終っていないのですから・・・。

越えなけりゃ、次も続くよ、同じ山。学びの俳句

by Rei